子供は神の賜物

幼児祝福式

「イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。
わたしのところに来るのを妨げてはならない。
天の国はこのような者たちのものである。』
そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。」
(聖書:マタイ 19:14-15)

子供は神の賜物

ここ数年、親による子供虐待の報道が急激に増えて来たように感じます。
もちろん昔からそういうことはあったかも知れませんが、
これほど簡単に、子供を死に至らしめるほどの虐待事件が、
連日のように報道されていた記憶はありません。
食べ物も与えられず、やせほそって死んでいく子供達、
泣きやまないからと、打ちたたかれ、絶命していく子供達。
そのような記事を読むたびに、
心がしめつけられるような悲しみと痛みを感じます。
親にとって子供とは、いったい何なのでしょうか。
神の言葉である聖書には次のように記されています。
「見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり、
胎の実は報いの賜物である。」(詩編 127:3)
この言葉の意味するところは、
子供は神からの愛と恵みのプレゼントであり、大切な宝であるということです。

神に用いられた子供達

聖書の中には、神の事業のために用いられた子供達のことが、記されています。
旧約聖書を見ると、イスラエルの危機の時、
神は心の清い幼子サムエルに現れ、
当時の霊的指導者である大祭司も聞くことができなかった神の御声を聞かしめ、
神の計画を語られ、サムエルによってイスラエルを正しい道へと導かれたことや、
またイスラエルの存在をおびやかす強敵ペリシテ軍との戦いにおいて、
2メートル半もあろうかと思われる、
ペリシテの巨人兵士ゴリアトに、敢然と戦いを挑み、
神に祈りつつ、一撃で彼を打ち倒し、
勝利をもたらした少年ダビデのことが記されています。
そして新約聖書には、
幼子が、主イエス・キリストに捧げた5つのパンと2匹の魚を、主は喜ばれ、
祝福の祈りをされると、パンと魚が増え続け、
おそらく1万人をはるかに超えていたと思われる人々が、
満腹になるほど食べ、なおその残りが、12の籠に一杯になったと記されています。
子供達の純粋な神への愛が、この驚くべき奇跡をもたらしたのでした。

教会の幼児祝福式

教会では、毎年、幼児祝福式を行っています。
各家庭にとっても、また教会にとっても子供達は文字通り、宝です。
かつて主イエス・キリストがされたように、
教会の牧師が子供たち一人一人の上に手を置き、
子ども達の健やかな成長と神の祝福をお祈りいたします。
どうぞ御家族一同でお気軽におこしください。

「イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。
『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、
決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。』」
(聖書 マタイ 18:2-4)