限りなき神の愛

限りなき神の愛

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:16)

やけどをした子

このお話しは、常夏の国ハワイのカウアイ島で実際にあったお話しです。
ヤシの葉が風にそよぎ、庭には美しい花が咲きみだれているその家に、
お母さんと坊やが住んでいました。
「お母さん!助けて!早く!早く!」と外から坊やの泣き叫ぶ声が聞こえてきます。
お母さんは、びっくりして、外へ飛び出してみますと、
坊やのズボンに火がついているではありませんか。
青ざめたお母さんは、急いで火をもみけしましたが、
もう両方の足は焼けただれて真っ赤になっていました。
お母さんは、坊やを抱きかかえると、急いで病院にかけて行きました。
「先生、どうぞ、わたしの命にかえても、坊やを助けて下さい。」と
涙を流して頼みました。
さっそく、手当を受けて入院いたしましたが、
やけどをした坊やは、ぐったりとしてしまっています。
その日から、寝ずの看病が始まりましたが、
坊やは日増しに悪くなるばかりです。
ある日、お医者さまに、「先生、何かよい方法はないものでしょうか。
何とか助けて下さい。」と言って、
目を押さえました。
お医者さんはしばらく考えていましたが、
「それでは、しかたがありません。
それはお母さんの腿の皮膚をはぎとって、
やけどの部分にはりつけることです。
でも、それは痛くてたえられないでしょう。」
「先生、坊やが助かるためなら、わたしは死んでもいいのです。
その手術をお願い致します。」
やがて、次の日のこと、お母さんと坊やは、
手術室に運ばれて行きました。
やがて腿の皮膚がそがれはじめますと、
「坊やが助かるために・・・」と歯をくいしばり、痛むのをじっとがまんしました。
それが一時から四時半まで、その恐ろしさ、苦しさ、痛さが続いて、
36枚の皮膚がそがれて、坊やの傷口にはりつけられていきました。
何という大きなお母さんの愛でしょう。
そのお母さんの愛によって、坊やはめきめき良くなって、
やがて、退院することができました。

神の愛

聖書の中に、神様は、
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:16)
とおっしゃっていてくださるのです。
お母さんは、皮膚をそがれてもなお、子どもを愛していたように、
イエス様は十字架におかかりになって苦しみながらも、
わたしたちを愛してくださいました。
神は愛なり。
(エンゼル社「わにとおうさま」より)