アンネのバラの教会誕生物語
アンネのバラの教会誕生物語
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
(新約聖書 マタイ5:9)
兵庫県西宮市甲陽園の小高い丘の中腹に美しい教会が立っています。
その教会の名は「聖イエス会アンネのバラの教会」。
その教会の庭には、アンネ・フランクの像があり、
その周りを囲むように数十本のアンネのバラが美しく咲き香っています。
一体この教会はどのようにして、いつ出来上がったのでしょう?
すばらしい出会い
ちょうど今から40年前の1971年、
聖イエス会の教団代表の黎明合唱団が、
初めて聖地イスラエルでの演奏旅行に出かけたときのことでした。
イスラエル北部のハイファでのコンサートを終え、
テルアビブに向かう途中、合唱団はナタニヤという小さな町で、
一つの老人施設を訪問しました。
そこにはラケルさんという、ご高齢の婦人がいました。
彼女は日本の神戸に長年住んでおられた方です。
人生の最後をイスラエルでと移住されたのです。
日本を去る前に、ラケルさんは
「遙かなるエルサレム」という美しい詩を書いて下さいました。
合唱団の指揮者がそれに作曲し、
ラケルさんにこの賛美を捧げるために訪問したのです。
ラケルさんは、驚きと感動で涙を流して聞いてくださいました。
その感動的な出会いが終わり、
ナタニヤのあるレストランで昼食をとっていたときのことです。
品のいい老紳士が近づいて来られ、自己紹介されたのです。
「皆さんは日本の方ですね。
わたしはユダヤ人で、オランダ人でもあります。
わたしは世界で最も平和を愛する者の一人です。
皆さんはきっとわたしの娘のことをご存知でしょう。
わたしはアンネ・フランクの父オットーです。」
合唱団員はぼう然と立ちすくみ、やがて一同割れんばかりの拍手となりました。
そしてアンネとオットーさんご夫妻のために
イスラエルの歌と日本の歌を賛美しました。
出会いの翌年のクリスマス、京都に「アンネのバラ」が届きました。
そして数年後に再度送ってくださったバラを接木して増やしたのが、
「アンネのバラの教会」の庭を埋め尽くしているバラです。
オットーさんは、1980年8月19日、91歳の生涯を閉じ、召されました。
「アンネのバラの教会」は
オットーさんが亡くなる4ヶ月前の1980年4月13日に献堂式を迎えました。
教会の中には、オットーさんが
聖イエス会に送ってくださった貴重な品々が展示されています。
庭のアンネの像を「最もアンネらしい」と、
とても喜んでくださいました。
教会の完成を心から喜び祝福して下さり、
「平和のバトン」を皆さんに託しますというように、
眠るようにその尊い生涯の幕を閉じられたのでした。
皆さんも是非一度「アンネのバラの教会」
(兵庫県西宮市甲陽園西山町4-7 TEL 0796-74-5911)
を訪問してみて下さい。