あるがままの姿で
あるがままの姿で
「イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、
ケファ(岩という意味)と呼ぶことにする。』」と言われた。
(聖書 ヨハネ 1:42)
ミケランジェロ
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、と共に、
ルネッサンス時代の三大巨匠と言われるミケランジェロは、
偉大な彫刻家であり、また画家、さらに建築家でもありました。
イタリヤのバチカン市国にある世界最大級の教会と言われる
「サン・ピエトロ大聖堂」の入り口近くにある
ミケランジェロの最高の傑作
「ピエタ(十字架から降ろされた主イエスを抱きしめる聖母マリアの像)」
を見た時の感動は、今も忘れられません。
またやはり彼が彫刻した「ダビデ像」(羊飼いからイスラエルの王になった人)や
「モーセ像」(奴隷となっていたユダヤの民をエジプトから救出した預言者)も
強烈な印象として心に残っています。
その時思ったことは、まだその手に彫刻のノミを持つ前に、
すでに彼の心には、完成した
「ピエタ像」「ダビデ像」「モーセ像」が
見えていたということです。
神のまなざし
「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩)と呼ぶことにする。」
この言葉は、ガリラヤ湖で漁師をしていたシモンが
初めて主イエスと出会った時に、主イエスが彼に語られた言葉です。
喜怒哀楽の激しい、無学で欠点の多い漁師であったシモンに対して、
主イエスは「ケファ(岩)」と呼ぶことにする。」と言われたのです。
今は無学な凡人であり、また短気で欠けだらけのシモンですが、
主イエスは彼を不動の信仰を持った
「岩」のような偉大な使徒に変えてあげようと言われたのです。
主イエスは彼の内に、
やがて神の愛によって変貌する偉大な使徒ペトロを見ておられたのです。
そのままの姿で主に近づこう
人間はしばしば人々の前で背伸びをし、
自分の実力以上に自分をよく見せようとして失敗をします。
しかし、神はいつも「あるがままの自分、そのままの自分」をさらけ出し、
神の前に心を低くする人、心の謙遜な人を愛してくださるのです。
シモンはしばしば失敗を致しました。
それどころか、愛している主イエスを、
「わたしは主イエスの弟子ではない。」
と三度も裏切ってしまったのです。
イエスのように自分も殺されるのではないかと、恐れたからです。
しかし、彼の心に神の愛、聖霊が注がれた時、
彼はもはや主を裏切ることなく、
主イエスの如く、
その命を、神の栄光と人々の救いのために捧げ殉教したのです。
どんなに欠点だらけでも、
またどんなに失敗の連続でも、
シモンはいつも悔い改め、
そのままの姿で神の前に出ていきました。
彼の生涯は、私たちにとり慰めであり、教訓です。